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歴史的人物再考①・織田信長

2019.12.10
全教室魚津駅前校滑川駅前校

10月から中学の歴史の勉強の仕方などを連載していますが、こんなことを知っていると、またちょっと歴史が好きになり、友達にも自慢できそうな話を今回、次回と連載しようと思います。

今回は皆もよく知っていて、KATEKYOの消しゴムにもなっている「織田信長」について、魚津事務局の梅原拓矢先生が書かれたものを紹介します。

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歴史の教科書で織田信長という人を習いましたね。好きという人、嫌いという人、そもそも興味がないという人、いろいろだと思います。信長は、一般の人々が持つイメージと、研究でわかった実像が大きくかけ離れています。実は昔は、信長はあまり有名ではありませんでした。しかし、戦後の時代劇で「風雲児」として描かれ人気が高まりました。私も小学3年生のとき(まだ昭和時代でした)、役所広司さんが大河ドラマで演じた信長を見て好きになりました。さらに、平成時代には、多くの作家によりキャラが盛られて、「天才」「魔王」として描かれるようになりました。

ですが、この信長のイメージは事実とは違います。信長の生涯の戦いの成績は130勝30敗だそうです。なんと、30回も負けています。この時点で先ずちっとも「天才」じゃありません。信長の兵隊には、京の都でぶらぶらしていて、金で雇われたフリーターたちも多かったので、弱いのです。そんな信長が「桶狭間の戦い」と「長篠の戦い」の二度、まぐれの大勝利をし、その二つが「ドヤ顔」で教科書に書いてあるので、さも信長は戦いの天才だったかのように、世間のみなさんに勘違いされているのです。

ちなみに自分を戦いの神(毘沙門天)だと思い込んでいた上杉謙信は70勝0敗です。さらに上杉謙信の「14歳の挑戦」は初陣(初めての戦)で、3倍もの数の敵に勝ったそうです。こういうのを「天才」というべきです。また信長は近畿地方のほとんどを制圧した後に、奈良県の一部だけを支配していた大名(松永久秀)に反乱を起こされたりしています。つまり、なめられています。この時点で「魔王」でもありません。

私が何を言いたいかというと、信長は「天才」でも「魔王」でもなく、「努力の人」だということです。先ほどの数字を見返してください。160回も戦っています。上杉謙信の2倍以上です。つまり、30回も負けても130回勝って、天下統一の直前まで進んだのです。失敗しても、めげずにがんばり続ければ、ちょっとずつ前進できるのです。これは、特別な才能がなくても、覚悟があればいいので、みなさんもマネできます。そう、みんな信長のように、失敗にめげずにがんばり続けて成長していきましょう!私も信長のように、プロ家庭教師としてちょっとずつ前進し続けます。ついでに、令和時代の歴史ドラマでは信長のそんな「めげずに努力を続ける人」という実像が世間に広まってほしいと思います。
ただし、信長は、あと一歩で天下統一というところで、油断して、本能寺でのんきに寝ていたら、明智光秀に謀反を起こされて、終わってしまいました。みなさんも、あと一歩という所でこけないように、最後の一瞬まで気を抜かずに受験勉強をやりきりましょう。(魚津事務局 梅原 拓矢)

(参考文献 「大間違いの織田信長」 倉山満=著 KKベストセラーズ 初版2017年)

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信長って、努力の人だんったんですね。私も、目からうろこが落ちました。そして何でも頑張り続けることが大切だということがわかりますね。梅原先生、ありがとうございました。

ではまた次回、学んだこととちょっと違った視点から歴史上の人物を再考したいと思います。

魚津事務局 魚津・滑川教室 倉元 吉則


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