2020年という節目の年が始まりました。2000年を超えてもまだ世界では国家間の紛争や、国内でも命の大切さを踏みにじる、いたたまれない事件が沢山あったと感じます。今、頑張っている受験生を見つつ、この生徒たちが親になる10年後、そして20年後、誰もが「いい時代になったなぁ」と感じられる思いやりのあふれる未来になっていたらいいですね。
そんな願いも込めて、そして私の連載している歴史の勉強にも関係があることから、今回は魚津事務局・三浦隆一先生のエッセーを紹介します。(倉元)
綱吉の功績(歴史的人物再考)
今から半年ほど前のことです。「江戸時代の将軍の中で、綱吉が一番いい将軍でした」と日本語が堪能なある著名なフランス人日本歴史研究者の方がラジオで話していました。
「何で?」と誰もが思ったはずです。綱吉といえば、犬公方(将軍)とか悪口を言われて、少しおかしな人として描かれていることが多いからです。しかしそのラジオ番組や他の情報源から、フランス人研究者の言葉の謎が解けてきました。
綱吉の「生類憐みの令」は生き物を大切にするようにという一連の命令でした。当時の江戸では治安、衛生も悪く、病人、死人が捨てられたりする状態で、野犬の問題も深刻でした。そこで綱吉は犬の登録制度を設けます。それは当時としては世界に類のないものでした。そして綱吉は沢山の野犬を捕まえ世話をします。費用はかさみ、それは当時の幕府予算の三分の一に達することもあったようです。それでも綱吉は増え過ぎた犬を殺さなかったとのことです。
ここで私は一つの仮定を考えてみました。家康は戦国時代を終わらせたが、綱吉は「生類憐みの令」を通し人々の心の中から残忍な戦国時代を取り除こうとしたのではないかと。「生」を大切にすることから人々に慈悲の心を伝えていく。そうした観点で見直してみると、生類憐みの幾つもの発令や、それぞれの意味が分かってくるような気持ちになりました。事実、生き物を大切にするだけでなく、子や病人、死人を捨てる風習も禁じ、無くしました。また綱吉は武力ではなく学問や礼節を重んじる文治政治への転換を行い、朱子学を奨励しました。そのことも単なる知識としてではなく意味のある事柄として見えてきます。
いろいろ調べてみると、私は綱吉のことが人間として好きになってきました。
元々、綱吉は生まれた時には将軍になる予定ではなかったとのこと。家臣の言いなりになるような環境ではなかったことが独創的発想を生み出したのかもしれません。そしてその環境があったから死後には家臣達から言いたい放題の悪口を広められ、それが今日の時代にまで伝わってきたようです。
今まで知らなかったことやその裏側も知ることで、初めて全体像が見えてくるように思えました。
理科や数学の問題などでは、公式に代入すれば解けるものは多くあります。ただそれで終わってしまうと勉強すること自体がつまらないものになりがちです。でも公式の意味が解かれば、よりそれぞれの事柄が有機的、また立体的に結びつくようになります。理系の教科も文系の教科も同じではないか、そのように感じました。
勉強すること、広い意味では何かを深く理解できた時の喜びをこれからも伝えてゆきたいと思います。 (三浦 隆一先生)
受験生の皆さん、受験頑張ってください。 応援しています。
魚津事務局、KATEKYO学院魚津駅前校、滑川駅前校